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元「ひきこもり」院生が語る、地方の教育現場に貢献する方法

地域おこし協力隊として津和野町に赴任し、県立津和野高校に設置された公営塾「HAN-KOH」で働く山本竜也さん。
慶應義塾大学大学院で世論調査の研究をしていた山本さんが、都会を飛び出して津和野町で働き始めた背景とは。
地方の教育現場で試行錯誤を繰り返しながら、生徒に貢献すべく奮闘する山本さんに話を聞きました。
取材・構成/前田千晶、瀬下翔太(2015/10/20)

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ひきこもり生活から津和野へ

――まずは津和野に来たきっかけを教えてください。

山本竜也(以下、山本):どうしても津和野に来たいという特別な想いがあったわけではありません。津和野に来る前は慶應の大学院で世論調査の研究をしていたんですが、研究でなかなか成果が出ず、就活するも全滅。不安でますます研究がダメになる……というループに入っていました。その状況が苦しくて家から出ることもままならなくなり、ほとんどひきこもり状態でした。友人との連絡も断って、家で宅配ピザと安い弁当を交互に食べる生活です。あとはAKB48の動画をYouTubeでひたすら見るとか……。そんなどうしようもない暮らしをしていました。

周囲の助けもあってなんとか大学院は卒業できたのですが、進路は決まっていませんでした。こうなったら地元に帰ってハローワークに通うか、家でピザを食べ続けるか、どっちかしかない(笑)。これはお先真っ暗だと思っていたところで、先に地域おこし協力隊として津和野に入ることを決めていた研究室の先輩の松原さんという人が、「君にも再生できる場所がある。それは津和野町だ」と力説してきたんですね。それを聞いて、さすがにピザを食い続ける生活よりマシだろう、くらいの気持ちで津和野に来たんです。正直な話、行くあてをなくして逃げてきたようなものですね。

――実家でも東京でもなく、津和野に飛び出したというのは勇気ある選択ですよね。

山本:もちろん「実家に帰って新潟に貢献する」という選択肢も頭にありました。ただ、私を津和野へ誘ってくれた松原さんとは5, 6年お付き合いがあったので、安心感があったんです。そしてなにより、教育の仕事であれば自分にもできるかもしれないと思ったんです。

定員割れの県立高校に公営塾をつくる

――山本さんが勤める「HAN-KOH」について教えてください。

山本:HAN-KOHは、津和野町で唯一の高校・県立津和野高校につくられた公営の英語塾です。隠岐島前高校という先駆的な取り組みを行っている学校がありまして、そこをモデルとしてつくられました。津和野高校の生徒であれば、無料で通える塾です。私はそこで運営スタッフをしています。

――運営スタッフとしてどんな仕事をされているんですか?

塾で最初にしていた仕事は、英語の宿題の添削でした。しかし、生徒たちと話すなかで、実は英語力以上に国語力が足りないことがわかってきました。日本語ができないから、英語もできないという状態だったわけですね。それから、もっと基礎的なことがわからない、例えば時事ニュースがわからないから社会の問題が解けない、というようなこともありました。こういう状況を踏まえて、「時事ニュース講座」を始めました。この授業では、時事ニュースを解説しながら、生徒たちに作文を書いてもらいます。授業を続けるうちに、生徒たちが文章を書けるようになってきたので、「もしかしたら小論文でAO入試や推薦入試を突破できるかもしれない」ということになりました。そこで、いまは本格的な小論文講座をスタートさせています。

――仕事のやりがいはどのあたりにあるのでしょうか?

山本:自分の授業を振り返って「次はこうしよう」って授業を組み立てていく作業は、私からするとひとつのプロジェクトなんです。生徒個々人に目標やゴールがあって、それを達成するために授業を組み立てて、でも時間には限りがあって……。これってまさにプロジェクトですよね。プロジェクトを立ち上げて回す、このプロセスが面白いと感じています。それから、今学期は授業を4コマ持っていますし、それに加えて別のスタッフの授業を手伝ったり、個別で小論文指導をしたりもしています。現場のニーズに合わせて働くことにもやりがいを感じますね。

町の中での塾の認知度が上がってきている点も、モチベーションにつながっています。去年は「高校に塾ができたらしい」くらいでしたが、段々と変化してきているんです。生徒の合格実績が上がったり、多くの町内の生徒が通い始めたりしたこともあって、「すごいね」とたくさん言ってもらえるようになりました。

とはいえ、まだまだこれからチャレンジしたいことばかりです。いま考えているのは、歴史の授業とAO入試で問われる小論文をつなげるような授業です。用語を憶えるだけになっているような日本史や世界史の授業ってもったいないなと思っているので、あるテーマについて調べながら、歴史へのワクワク感を育むような授業を来年もちたいと思っています。知的な興奮が感じられて、探究する力の育まれる教育に取り組んでいきたいです。

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個性を伸ばす教育がしたい

――もともと教育には興味があったのですか?

山本:そうですね。学部2年の時にコミュニティスクールについて調査したり、4年のときにはキャリア教育を手がけるNPO法人・カタリバに所属していたりしました。

私は幼少期から大学院までずっと、自分の個性を伸ばしてもらえる場所にいることができた、環境に恵まれたという気持ちがあるんです。だから、どうしたらそういう教育環境をほかの人にも提供できるだろうかという問題意識を持ってきました。松原さんも、私がそういう考えを持っていることを知っていたからHAN-KOHに誘ってくれたんでしょうね。

――生徒に指導する経験は前からありましたか?

山本:大学2年生の時に、個別指導の塾講師を1年間やっていました。ただ、そこではうまく仕事をすることができませんでした。私はひとりひとりの生徒と継続的にやり取りして指導を進めていきたかったんですが、その塾は「今日はこの子を見てください、明日はあの子を……」みたいなスタイルだったんですよ。この体制では、生徒たちの成績を伸ばすことはできないと思って、最後は投げ出すように辞めました。自分に合っていなかったんだと思います。

いまの職場では、僕は塾に常駐していて生徒たちにいつでも声をかけてあげられるし、手厚くサポートできます。授業を構築する力や生徒の接し方、観察力。そういった教育に特化したスキルはHAN-KOHに来てから身についたなあと思います。

自然体の自分で高校生を変える

――津和野に来て仕事をはじめてから、自分のなかで変化した部分はありますか?

山本:大学院生の頃は、自分を追い込みすぎるところがありました。もともとはゆるゆるした人間なんですが、仕事となると物事を突き詰めて考えすぎて、自分で自分の首を絞めてしまうことがよくあったんですね。研究もそれで行き詰まっているところがありました。

しかし、生徒から最近「先生のゆるいところ、ヘンなところが好き!」というふうに言われたんです。その発言は自分にとって驚きでした。自然体のゆるい自分でいてもいいんだなあと生まれて初めて思ったんです。自分にとって大きな変化だなあと思います。

今年の夏期講習のときに、突き詰めて150%くらいの力で準備して授業に臨んだことがあったんです。そうしたら、生徒はポカーンとして、口あんぐりって状態になってしまいました(笑)。その経験からも、手を抜くということではないですが、安定した力で余裕をもって仕事をしていくことの大切さに気づきましたね。これは東京でなくてこの場所、津和野だからこそ気がつくことのできた部分だと思います。

――なるほど。それでは、生徒たちに対してはどのような変化を与えていきたいですか?

山本:そうですね。まず前提として、津和野には子どもが非常に少ない。ですから、ここの生徒たちの多くは、幼稚園から高校まで15年間ほとんど同じ顔ぶれと過ごしてきています。そのなかで、自分のような東京の大学院からやってきた存在は圧倒的な異分子なんです。私と生徒たちとでは、考え方も大きく違うと思います。とりわけ、進路やキャリアについての考え方は大きく違うでしょう。

大事だと思っているのは、自分の考え方を押しつけちゃいけないということです。人によっては、教育というのは「強制」がつきものだと考えるかもしれないけれども、私は違うと思っています。もし仮に彼らに変化を強制したとしても、そもそも私は責任を取ることができない。

そこで重要になってくるのが、「情報を与えて、一緒に選択肢を考える」ということです。自分にとっては基礎中の基礎だと思えるところから情報を与えて、生徒が自分の進路を決めて行くときに、どういう選択肢がありうるのか一緒に考えていく。それが大事だと思っています。私のやり方は生徒の意思に寄り添いすぎていると言われるかもしれないけれど、それが自分のポリシーです。

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多様性が町を面白くする

――地域おこし協力隊として、地域社会に対してはどのような変化を与えていきたいですか?

山本:前提として、町の人って多様ですよね。高齢者もいれば、商工業者もいて、公務員もいて、もしかしたら昼間は他の地域に働きに出ている人もいるかもしれない。ですから、地域をどう変えていけばいいか、というのは難問です。

その点、私にはまず塾のスタッフという仕事が与えられています。もちろん高校の生徒も一様ではないけれど、少なくとも高校生という括りがあるので、困っているポイントや改善点は見えやすいんですね。私は「直接の顧客」っていう表現をよくしますが、私にとっては塾の生徒が自分にとっての第一のお客さんなわけです。直接地域に対して働きかけていくというよりも、まずは目の前の高校生たちに貢献していきたいなあと思います。

そのうえで言うとすれば、とにかく変化を起こし続けることが、地域にとって大切だと思います。地域がどの方向にいけば幸せだとか、絶対確実な指針というものはないわけで、答えは自分たちで探していくしかありません。「自治」というのはまさにそういうことなんじゃないかと思います。

自分が津和野高校の生徒たちにしている「情報を与えて、一緒に選択肢を考える」というアプローチは、地域をどうしていくか考えるときにも有効なものだと思います。まちづくりという答えのない課題に取り組むためには、各自が自分自身で考えて変化を起こしていくしかない。そうすれば、多様な答えが出てきて、まちが面白くなっていくんじゃないかと思いますね。

やりがいは解釈ひとつで生まれる

――最後に、地方で仕事をしたいと思う人にアドバイスをお願いします。

山本:自分がやりたいことに縛られすぎないことが大切かなと思います。都会から地方に行きたい人は、きっとなにかやりたいことがあるんだと思います。しかし、与えられた仕事、やらなければいけない目の前の業務を大事することが重要です。当たり前ですが、それをやらないと、やりたいことをやるという話までいけないですからね。

それに、やりたいこととやらなければいけないことというのは、解釈ひとつでいくらでも繋がってきます。自分に与えられた使命や信念といったものをどう解釈していくか次第で、自分のやりたいことと自分の仕事を繋ぐことができるはずです。自分の信念をどう解釈して、どう現場に落とし込んでいくか。それ次第で、その人の仕事がどういうものになるかが変わってくると思います。

最初にもお話しましたが、私は絶対に津和野町に行くと決めてここに来たわけではありません。それがいまでは、ここにいることが自分にとってプラスになると思えるようになりました。たとえば、ここに来る前の私は、時事ニュースに詳しいこともネガティブな要素だと思っていたんですよ。Yahoo!ニュースを見ても新聞を読んでも研究につながるわけでもない。そういう積み重ねは時間の無駄ではないか。そんなふうに感じていたのです。しかし津和野で塾の運営スタッフとして働くなかで、時事ニュースに詳しいことを価値に変えることができるようになりました。

現場をどう解釈して、自分にとって意味があるものに変えていくか。これはすべての職業人に通じることかもしれませんが、馴染みの土地を離れて地方にやって来る人にとっては、とりわけ重要になるんじゃないかと思います。

「自分の経験や知識が、この現場で活かせるかもしれない」。そういったひらめきは、必ずやってきます。しかし、それは現場で業務をこなす中からしか絶対に出てこないのです。ですから、地方に移住して、地方で仕事をしようと思う人は、一度実際にその地域の人の仕事を手伝ってみることが大切だと思います。そうすれば、自分のどこが活きるかわかってくると思います。

 

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