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秘薬『ナメクジ油』の生産地で巻き起こった破天荒エピソード集。商人地区の生きる伝説・田中幸一さんがこれまでのチャレンジを語る

 

津和野町の山間部に位置する商人(あきんど)地区。

 

この地では、古くから時流に合わせて様々な作物を栽培してきており、現在は集落の一大産業であるサカキや山菜で有名だ。

そんな産業を立ち上げて、商人の名を一躍有名にした人物が田中幸一(たなか・こういち)さんだ。

商人の中心人物で、津和野町の農家が集まって勉強や情報共有をするイベント「百姓塾」を立ち上げたメンバーの1人であり、そのチャレンジングな生き様や多くの人を巻き込むカリスマ性から、津和野町内でその名は広く知れ渡っている。

 

「商人っていう地区は、農業における条件が日本一悪いと言っても過言ではない。そんなところで生活していくためには、『あれやってみよう、これやってみよう』とどんどんチャレンジをしていかざるをえない。そりゃあ、とんでもない失敗なんて数え切れないほどあるけど、常に行動していくことこそが美徳と考えているから、どんなエピソードだってこうしてニヤニヤしながら話せるんよ(笑)」

 

商人という集落の歴史をなぞるように、田中さん自身もたくさんの試行錯誤を重ねてきた。

今回はそんなチャレンジの数々を、時に面白おかしく、時に力強く語ってもらった。

 

 

 

後ろ指さされるくらい、やっていこうぜ

 

商人では、今でこそサカキや山菜といった作物が栽培されておるが、集落の状況や時代の潮流に合わせて、そりゃもう色んな作物を栽培してきた。賞をもらうようなお茶を生産していたこともあったり、そこら中の山で椎茸が栽培されていたこともあったし、木炭やら養蚕の生産をやっていたことだってある。周りと同じじゃいけんけぇ、とにかく「一歩先んじてやる」っちゅう精神はずっと昔から根付いとるんよね。

 

というのも、マイクロバスが人を迎えに行くことを諦めるくらいアクセスは悪い上に、山ばっかりの地形じゃけぇ、農地として活用できる平地は少ない。さらに冬は、これでもかちゅうくらい雪が降り積もるんじゃ。

 

この地には、若い衆が新しく始めたことに対してとやかく言う人はおらん。なぜなら、ここの住人には、「後ろ指をさされるくらい、やっていこうぜ」っちゅう気持ちがあるから。つまり、座して喋っているくらいなら、‘‘行動してチャレンジしていこう”という気概が商人にはあるんよね。

 

 

一獲千金を夢見た「川エビ」は‘‘ちり紙”と化す(!?)

 

かつて、昭和生まれで集落の若い世帯主で構成された「同志会」っちゅうコミュニティがあって、イベントや勉強会などの催し物を行っとったんじゃ。ここである時、「‘‘商人版”昭和の所得倍増計画」として、釣りのエサや食用に使う川エビの養殖をやろうっちゅうことになった。一升くらいある川エビが10,000円くらいするけぇ、集落で育てたらこりゃあとんでもない額になるぞとみんな意気込み、最終的に13世帯が参画した。引っ張ってきた山水を防波堤でせき止めて小さな湖を作り、そこに川エビを放流してはせっせと育てとったんじゃ。こうして若い衆が動いているのも、集落のじいちゃんばあちゃんはいつものように全く止めることはなかったのう(笑)。しかし、この養殖事業は5年後くらいにキレイさっぱりと終わってしまったんよ。

 

なぜかって? 川エビっっちゅうのはな、ある一定数を超えると共食いを始めるんよ。あれだけ時間をかけて進めてきた事業なのに、とんでもない額を儲けるどころか、とてつもない大失敗じゃ(笑)。ひとまず、残っていた川エビは売ってきたんじゃけど、それで購入したのが、なんと大八車に収まらんくらいの大量のちり紙。なんでちり紙かはお察しの通り。そこに参画していたのは若い夫婦ばかりじゃけえ、そりゃもうたくさん必要だったんじゃろうな!(笑)

 

ほいで、その同志会の飲み会では、みんなちり紙の話で持ちきりで、誰1人として養殖の失敗を責める者はおらん。そしてその場ですでに「さあ次はこれやるぞ」っちゅうことが決まっとる。終わってしまった過去の失敗なんかは、ちり紙を流すようにキレイさっぱり忘れてしまうんよ(笑)。

 

 

秘伝・ナメクジ油はココにあり!

 

ナメクジ油っっちゅうんは、純正の菜種油にナメクジを漬け込んで溶かした、この集落に代々伝わる秘伝の万能薬のこと。ハチ・ムカデといった毒虫系に刺されても、これさえ塗っとけば大体は治っちまう。あるおばあさんがマムシに噛まれてこの油を塗ってから病院に向かったんじゃけど、途中で痛みが引いたけぇ引き返してきたっちゅう話もある。そういや、うちに来た農業研修生もハチに刺された時にこの油を塗ったら、すぐに痛みが引いたっちゅうてビックリしとったわ。まあ、何かあったらとりあえずのナメクジ油だな(笑)! どっかの製薬会社が入ってきて、ちゃんと効能やらを確認してもらえたら、きっと天文学的にビックリする数字で儲けられるはず。ただ一つの難点は、めちゃくちゃ臭いっちゅうことじゃね(笑)。

 

この油で集落の全世帯で特許を取得したんじゃけど、それも商人らしく‘’当たり前でないこと”をやろうということからアイデアが生まれたんよ。けれども、特許を取得するには弁理士さんを通じて所定の手続きを踏まなければならんし、お金もかなりの額が必要っちゅうことはわかっとった。そこで、その当時に津和野で研究されていた冬虫夏草(※1)の特許申請のために東京から訪れていた弁理士さんを何とか口説けないか、と考えたんじゃ。

 

まず、「とんでもなく面白い集落で‘‘商人”という所がございまして、そこの夜は楽しゅうございますよ。そこの‘’夜”は」という誘い文句で商人まで来てもらった。それから、山菜やどぶろくといったもんで最高のおもてなしをして、「うちのナメクジ油は冬虫夏草とは違ったお金に変えがたい価値がある。ちょっとした‘‘サービス”と思って特許の申請を手伝ってもらえないか」とお願いをして、何とか受諾してもらったんよ(笑)。特許申請の内容も当たり前ではないことをやるっちゅうことで、発明者は商人の‘‘最高齢の方”、申請者は集落の‘‘世帯主全員”にしてみたんだ。それはもう申請が通るまでの間は、「本当に受理されるんかのう」なんて言って、もうみんなドキドキじゃ(笑)。

 

受理されて額縁が届いた時は、もうみんな大喜び!その時に、特許庁長官から授与された額縁がみんなの家に飾られているし、また一つ商人の自慢できるエピソードが増えたっっちゅうことだわな。まあ一銭だってこの油で儲かっちゃあおらんのじゃけど(笑)。

 

 

 

「広大な緑の山」×「高齢者」=「サカキ」

 

昔、日原町の創立30周年記念大会が開催された時、ヘリコプターに乗って上空から商人全体を見下ろす機会があった。上から眺めてみると、自分が住んでいるところっちゅうんは改めて山ばっかりで、わしの茶畑や人家だっていっそ見えやせん。実際に暮らしている身からすれば、「美しい緑が広がっている自然豊かな地域」とか、そんなキレイな言葉であの景色は表現できるもんじゃない。ありゃ「緑の地獄」と言った方が適切じゃろうか(笑)。

 

じゃけえ、わしが考えたんは「この『広大な緑の山』こそ、商人に与えられている大きな数字なんじゃないか」っちゅうこと。農地として使うことができる商人の平坦地はたったの0.97%。ただ、この地に広がる97%の山林面積を農用地にできる作物であれば、商人の一大産業になるという確信はあった。そんな地形に加えて、もう一つ、高齢者ちゅうんもこの地が抱える大きな数字だ。商人が持っているこの2つの大きな数字を掛け合わせることができれば、ものすごく大きなマーケットを作れるんじゃないかと考えたんよね。

 

そんな時、山にサカキ泥棒が入ってくるっちゅう話を聞いた。こりゃもしかしたら結構なニーズがあるんじゃないかと思って、サカキの卸売のマーケットを見に行ったんよ。そしたら、ダンボールに入っているサカキが、もうとんでもなく売れる売れる。その時に「これだ!」と思ったね。

それに、山に苗さえ植えておけばお金のかかる重機も必要ない。カゴを背負ってハサミでチョキチョキと枝を切っていくだけでええから、老人の方がコツコツと粘り強く結果を出していけるかもしらん。高齢者も働けたら大きな労働力になるし、組合にも定期的に出なきゃいけんから地域で孤立することもない。サカキの栽培で社会問題も解決だ(笑)。まあ、これでみんな死ぬまで現っちゅうことじゃのう。

 

現在、商人の作物の中でNo. 1の収益をあげているのがサカキ。今じゃ、他の地域の住人やIターンで移住してきた者でサカキの生産組合に入っている者もおる。お前らもサカキを作るか?年会費5,000円払ってくれたんなら作り方を教えちゃるよ(笑)。

 

 

初めての山菜栽培は‘‘王様”から始まった(!?)

 

昭和50年代の半ば頃、地区にあった唯一の小学校が廃校になったり、集落単位で行われていた農業の事業の関係で、現金支出をすることが決まったりと、地域が一体となって踏ん張らなければいけんことが立て続けに起こった。そんな時じゃけぇ、「商人らしく巻き返していこう」っちゅうことで農業戦略を決めるための決起集会を開催し、新たなスタートを切る上での短・中・長期で栽培する品目を策定した。そこで短期で栽培する作物として策定されたのが、‘‘山菜の王様”と言われるタラの芽じゃった。

 

そのキッカケはある冬の時分、商人は雪が積もって農業ができんちゅうことで、愛知県の農家さんとこに研修に行ったこと。そこではビニルハウスの中で農家さんが半袖の肌着で作業をしとる。おまけに持っていた車は、日産のセドリックという高級車ときた。それもそのはず。その人たちは通年で働いとるけぇ、得られる現金収入が多いのは当然だよな。とにかく、環境が異なるだけでこんなに違うもんなんかと強くショックを受けた。

そんなことがあったけぇ、これまで農業を休まざるをえなかった商人の厳しい冬の間でもハウスで栽培できるもので、旬よりも早く出荷できるものとして、短期品目で策定したのが山菜じゃった。どの山菜を栽培するかとなった時に、「どうせなら王様をやっつけちゃろう」っちゅうんで、‘‘山菜の王様”と呼ばれるタラの芽の栽培を始めることにした。

 

そうと決めてから、商人のもう一人の住人と一緒に、山梨県のある有名な山菜農家のご夫婦に栽培のことについて話を聞きに行った。その時は他の地域からも視察に訪れとる人が何人かおったんじゃけど、ご夫婦は美味しい話を一向にしてくれん。わしらは何かを持って帰ろうと必死じゃけぇ、機関銃のように質問を投げかけていったんじゃが、そんでもちゃんとした答えが返ってこんかった。そうこうしているうちに話も終わって、宿泊する予定の旅館に帰った。そこで、さあ飲みでも始めようかっちゅう時に、女将さんがわし宛に電話がかかってきたことを伝えてくれた。代わってみると、さっきのご夫婦からで「他の奴は飲みが楽しみで来ているだけだが、お前らはちいと真面目そうだ。ちょっと山菜栽培の作業を見に来るか」と言ってくれたんじゃ。技術を教えるなんちゅう人のいいことは普通はできんけぇ、わしらの一生懸命さを感じ取ってくださったんじゃろうね。それからまたそのご夫婦のところに戻って作業を見させてくれて、「こいつは喋ったらいけんのう」っちゅう言いながら色んなことを教えてくれて、その他にもありがたいお宝をわしらに持ち帰らせてくれた(笑)。

 

そうやって始まったタラの芽じゃけど、試行錯誤を重ねて軌道に乗ったのは7年目から。その間にも、山菜のコゴミのやウルイ、行者にんにく、ふきのとうなど、できると思ったら何でも栽培してみたのう。商人では一秒足りともムダにはできんけぇ、頭の中で言葉遊びなんかをやっとる暇は無い。面白いと思ったら、とにかくやってみるしかないんよ。ほいで、失敗してダメだったら次に何するかを考える、これしかないんよね。

 

 

お金に変えられない裕福さ

 

商人の生きる伝説・田中幸一さんが語る型破りなエピソードの数々はいかがだっただろうか。ちり紙の話のような商人の気質を表す面白おかしいエピソードから、大きい数字同士の掛け合わせといった成功哲学まで、時に力強く、時にゲラゲラ笑いながら語っていただいた。

 

筆者が特に印象深かったのが、ナメクジ油の話を伺った際の田中さんの言葉。

 

「この油で一銭だって儲かっちゃおらんのじゃけど、お金に変えられんもんをわしらにもたらしてくれたねぇ。もうわしらは十分に裕福よのう」

 

ただ面白おかしく流してしまいそうなエピソードの裏側に、物事の本質が見え隠れする。

ナメクジ油でお金儲けをしたいだけなら、いくらでもできるのかもしれない。田中さんをはじめ商人地区の皆さんが感じる‘‘裕福さ”はお金を稼ぐことにあらず、経験したことのないチャレンジやワクワクを追い求めるところにあるのだろう。

 

過去の失敗を引きずらず次にできることを考え、周りでとやかく言うよりも行動しチャレンジしていく。

そんな商人地区では、次にどんなチャレンジが起こるのだろうか。

 

(文/前田健吾、写真/宮武優太郎)

 

(※1)冬虫夏草ー漢方の一種で、中国歴代王朝も愛用してきたとされる。詳しくは過去記事参照→「雨を感じられる人もいれば ただ濡れるだけの人もいる」〜”冬虫夏草”を新たな津和野の名産に〜(にちはら総研・高久さんインタビュー)

 

津和野町商人地区

 

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