【取材後記】津和野へのIターン移住先駆者・増成さん夫婦への取材
安部首相が地方創生元年とぶち上げた2015年から早2年。
地方へのヒト・モノ・カネの移動は進んでいるとは言い難い。が、ニュースでも地方が取り上げられることが多くったり、地域活性系のイベントが各地で開かれるなど、世間の注目度は少しずつ高まりつつある。
そんな昨今の流れが始まる以前に、いわゆる’’Iターン”と呼ばれる形で横浜から津和野町のたった’’180人”の集落・須川地区に移住してきた夫婦がいる。町内で数少ない完全無農薬の作物を栽培している増成さんだ。
約13年前に移住してきた増成さん夫婦は、完全無農薬のお米と大豆の栽培、ニワトリ・羊の飼育など、不思議な表現にはなるが、ストイックかつ悠々自適な生活を送っている。

奥さんは、津和野のレストランにて手料理を振舞ったり、飼っている羊の羊毛を使用したフェルト作りをしたり、はたまた数秘術・ダウンジング占いをしたりと、幅広い活動に奔走されている。
移住したきっかけは、当時の旦那さんの仕事の関係とのこと。仕事場に近い須川を選んだのは、奥さんが移住先をダウンジングで2回占ったところ、2回とも須川が当たったから。引越しをされる際に奥さんの意向に従うというのは往々にして聞く話だが、まさか占いがきっかけで縁も所縁もない180人の集落に住むことになるとは…。

「生きる」とは
そんなことで10年以上前に須川に移住したお二人。
お米栽培は奥さんが最初に始めたそうだが、移住して3年ほどしてから旦那さんも手伝うようになり、今では旦那さんが農業のほとんどを担っている。都会から田舎への移住に抵抗はなかったのかと伺ったところ「以前、暮らしていた横浜の東戸塚もだいぶ山の中だったから、田舎暮らしもそんなに苦にならなかった」とのこと。ちなみに、旦那さんが岡山県倉敷市の出身で、奥さんが東京出身。
ただ基本的には、東京のど真ん中しか暮らしたことがない人が、田んぼや畑だらけの田舎に移住するという状況はあまりイメージしづらい。地方から東京への人の流れはまだまだあって、その逆がない理由の一つは、自然に触れる体験の無さからきているのだと思う。
昨今進んでいる森林教育、我が津和野町でも推進されているが、自然に触れる体験をすることは将来の選択肢の広がりに繋がってくる。僕は今日の雨のなか、増成さんの田んぼに入って田車を押したり、軽トラの荷台に乗ってイノシシの罠が仕掛けてある場所に行ったりしたが、「生きている」という感じがして中々楽しかった。
そう、自然に触れることは楽しい。

願わくば、今の子供たちにこういった自然の中にある楽しみを享受してもらいたい。
(文/前田健吾、写真/宮武優太郎)