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『バイオマス発電』に、『BDF(バイオディーゼル燃料)』に、『水素エネルギー』に。津和野の未来実現に奔走してきた”大学生”・小林英太郎さんインタビュー

 

津和野町地域おこし協力隊として2年間の任期を果たした小林英太郎(こばやし・えいたろう)さんは、休学していた国際基督教大学に今春から復学する予定だ。

そもそも海外志向が強かったと言う彼だが、あえて過疎自治体である津和野に赴任し、津和野町における木質バイオマスガス化発電事業(※以下バイオマス発電)や林業活性化に関わり続けてきた。

 

20代前半という前途ある年齢ながら、なぜ津和野に出てきたのか。

2年間の任期の中で、どのような変化があったのか。

 

東京に旅立つまで残り1カ月を切っている今日、彼の今の思いについて、話を伺ってみた。

 

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農林課の描く未来を実現する方法を常に考えていた

 

ー2年間の任期を終える、今の率直な感想を聞かせてください。

 

小林:今振り返ってみるとあっという間の2年間でしたね。元々、循環型社会や地産地消など、全て自分たちで完結できるような仕組みに興味があったことから、中山間地でエネルギー自給を実現できるバイオマス発電事業に参加させてもらうことになりました。バイオマス発電に詳しくなったのはもちろんなのですが、それ以上に大きな学びのあった津和野生活だったと思います。

 

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ー2年間バイオマス発電に関わっていたとのことなのですが、具体的にどのような活動をしていたのでしょうか。

 

小林:津和野町役場の農林課職員として、課長や役場職員の方と連携して津和野町でのバイオマス発電の実現可能性調査や、導入計画を作成していました。

 具体的にいうと、1年目は国からの補助金によって地域再生計画策定事業にコミットし、発電プラントメーカーと共同調査を行ったり、地域電力会社設立までの道筋をコンサルの方と協力して書類にまとめたりなどです。バイオマスのほかにも、BDF(バイオディーゼル燃料)や水素エネルギーの可能性を探ったり、有機農業の勉強会を開催するなど、多岐に渡る事業内容の中で、農林課の描く未来を実現する方法を常に考えていましたね。最終的に、これらの調査内容はパンフレットにまとめ津和野町の人たちに全戸配布しました。

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 2年目も引き続き調査を続け、町議会の木質バイオマス特別委員会などにも出席したり、高津川流域木質バイオマス活用調査検討協議会に参加し、津和野町での実現方法についての協議を重ねました。また、計画がある程度形になったところで、経産省にむけて固定価格買取制度の設備認定申請を行ったり、中国電力に接続申請を行ったりといった、各種手続きも行っていました。結局のところ、任期中での計画実現は難しかったのですが、今後の津和野町にとってプラスとなる成果を残せたと思います。

 また、バイオマスとは別に、津和野町の合併10周年記念事業として「美しい森林(もり)づくり条例」策定の動きも起こり、事務局として関わってきました。美しい森林づくりは、町民や林業関係者のより活発な森林活動を啓発することを目的に作られました。というのも、津和野町は全体の90%以上が森林であるにも関わらず、山に関心のある人が少なく、山を生活の一部として有効に活用している人が少なかったからです。そこでまずは、住民の方々の森林に対する意識を高めるようにとこの条例を作り、そのあとに実際の活動目標を盛り込んだ「美しい森林づくり構想」をつくって森林活動を盛り上げようという流れになったんですね。条例作成や構想策定の中で、人と森との関係性を考えて絶えず議論し、自然と人間との関わり方を見つめなおす事業となりました。そのなかでも特に、山を管理する仕組みや、もっと人と山とがつながる仕組みが今の津和野には必要だと感じました。

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美しい森林(もり)づくり条例の様子

 

ー森林は津和野の大きな資源であるので、それを管理し運用する仕組みは必要ですよね。ところで、森林に関する仕組みの日本の現状はどのようなものなのでしょうか。

 

日本の森林制度は遅れている部分が多いと思います。林地の売買や森の管理には、明確な境界が必要です。しかし、日本の土地に関する図面は、明治くらいに庶民によって作られたものが未だに用いられており、今でも土地の面積と所有者は不明確なんですよ。地籍調査によって正確な土地面積と所有者を確定させる作業が今も続いていますが、莫大な時間と費用がかかります。そもそも、行ったこともないような先祖の山の境界を決めるわけですから、いろいろな主張が出てきて難航するわけですよね。津和野町でも地籍調査進捗率は3,4割程度ですしまだまだ時間がかかりそうです。

また、そもそも日本では土地が個人の所有物という考えが強いため、行政が主体となって地域の森林管理や運用を行うことは難しいんですよね。森林は、きちんと管理がされていれば山崩れを防いでくれたり、水を蓄えてくれたりといった公的な機能がたくさんあります。しかし、手入れのされない森林が増えると逆に危険な存在になってしまうんです。山に関心のある人が少なくなった現代において、公共的な機能面から森林の管理を可能とする仕組みが今、求められていると思います。

 

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例えば、ドイツやスイスといったヨーロッパの国々では、山はみんなのものでもあるという考えがあり、森林管理が積極的に行われるための土壌があります。防災や美観といった公的な機能も広く認知されていて、地域の森林を広域的に管理する専門家(フォレスター)が公務員として働いていたり、または一定面積以上の森林を有するものは民間のフォレスターを雇わなければならないとする地域もあります。またオーストリアでは森林マイスター制度もあり、林業従事者は森林管理のために一定以上の能力が必要とされるような仕組みもあります。こういった仕組みや制度は、森林を運用しながらも災害や山崩れの危険を避け、人と森とが調和を持って暮らしていくために整備されてきたものです。

 

どうしたらなるべく多くの人が、自分が望むような生き方ができるだろうか

 

ー津和野町での生活そのものから、学び得たものはありますか。

 

小林:良くも悪くも全ての人間関係が繋がっているので、個人としての影響力の大きさを感じましたね。人のネットワークを通じて、何かをやろうとするとすぐに協力してくれる人たちが集まるんですよ。

また、公務員という立場を経験することができたのも大きかったです。働くうちに、仕組みの中で物を考える必要性であったり、どの立場から何を働きかけるのが効果的かといった政治的な思考も体感しました。そして、実際に働いている中で、役場の中でもうまく機能していなかったり、連携できていない部分があることにも気づきましたね。

 

ー人のネットワークが濃いとのことですが、そういった中で小林さん自身が変化したことはありましたか。

 

小林:津和野に来てからは人との関係の作り方をすごく勉強しました

前回のインタビューでも話したように、農林課の課長は僕が尊敬する人物の一人です。課長はとにかく周りに自分の夢を語る熱い方なのですが、そうすることで運を味方につけ、自分で道を切り開いてきました。その背中を見ていると、思わずついていきたくなるような人でした。

また、ある役場職員や地域おこしの先輩から、自分が任されている仕事に対して、とことん当事者意識をもつことの大切さを説いてもらいました。働き始めた当初は、役割や立場が自分の中ではっきりせず、なんとなくで仕事をこなしていることもありました。けれどもお二人から「そんな中途半端な仕事をしていてはダメだ。例えどんな立場にいて、組織がどういう体制でも、自分に関わってくれている人たちのことをまず考え、その人たちのために自分が何をできるかということを考えていれば、評価は後から付いてくる。間違えてはいけない」と言われました。その言葉は当時の状況に不満を感じていた僕の胸に大きく響きましたね。それ以来、自分の置かれている状況に関係なく、自分と相手を中心に考えていくことで思考がシンプルになり、物事がうまく回り始めたような気がします。

 

info@nakamurahitoshi.com

 

 

ー周囲の方々の姿勢や指摘から、たくさんの学びを得てきたのですね。そんな環境で、3年目を迎えるという選択肢はなかったのでしょうか。

 

小林:津和野ではすごく充実した日々を過ごすことができたのですが、一方で自分の役割に限界を感じていました。バイオマス発電にしても森林制度にしても、専門的な知識が足りないので役割が限られてくるんですよね。同じ林業分野に関わるにしても、もっと専門知識を身につけてからにしたいとの思いが強くなりました。それに、大学を卒業したいという思いは常にあったので、中途半端に長居するよりも大学を卒業して自由の身になってから、もう一度世の中に出て社会に対する自分の役割を突き詰めたい、と思うようになりました。そういった理由で、大学に復学することを決めました。

 

ーでは最後に、今後の展望を教えていただけますか。

 

小林:具体的なビジョンはまだ見えていませんが、色々な選択肢を考えていきたいと思います。社会に出て働いてみたいし、林業について引き続き学びたい。それに、もう一度海外に出て国際的な価値観の中に身をおきたいという思いもあります。行動の選択肢としてはたくさんあるのですが、自分の中には常に「どうしたらなるべく多くの人が、自分が望むような生き方ができるだろうか」という問題意識があります。津和野にいたこともあって、田舎で暮らしたいけど仕事がないから都会に出るという人たちを何人も見てきました。地方で暮らしたいのに、仕事がないからと言って都会に出ないといけないのか。構造的な理由で人がいなくなってしまった田舎は消滅するしかないのか。地方消滅が叫ばれている昨今、地方で暮らしていける人の数を増やすことがより多くの人の望みをかなえることにつながり、地域の存続につながります。ひとつひとつの地域を存続させ、多様性を守っていくことが、ひいては日本総体としてのユニークさや、多様な価値の許容につながると思います。

誰もが自分の生きたい暮らしができるように、将来的には地方に注目し、田舎で生きるモデルを作るような、そういった仕組みづくりができる人間になりたい。そんな思いを胸に、これからの人生の選択を行っていきたいと思います。

 

info@nakamurahitoshi.com

(文/前田健吾)

 

小林さんの前回インタビューはコチラ→大学生が地方に飛び出す理由とは:地域活性を通して自分を見つける

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