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カリフォルニア大学バークレー(U.C.バークレー)の研究員が津和野高校に(!?) 津和野高校コーディネーター「牛木力」さんインタビュー

 

「ただの”おままごと”ではない。高校生が社会に変革を起こしていく」

 

高校魅力化やHAN-KOHといった、普通の高校とは一風異なった取り組みで注目されている津和野高校。

 

そんな津和野高校では2016年7月、1・2年各クラスにて、津和野町のまちの課題に対し生徒たちが主体となって解決策を考えるプロジェクトが、”総合的な学習の時間”の一貫として行われてきた。

そして2016年12月、その成果を津和野町長・下森博之氏に対して発表した。

駆けつけた多くのメディアを横目に、それまで練り上げてきたプランをしっかりと発表し、時に詰まりながらも町長からの指摘にもきちんと受け答えをする高校生の姿がとても印象的であった。

 

町長提言

このプログラムのベースにあるのが『Y-PLAN』である。

もともとはアメリカの有名大学、カリフォルニア大学バークレー(以下、U.C.バークレー)発祥で、文字通り”全ての人に社会を変える力がある”というメッセージが込められた地域学習プログラムである。そのプログラムを持ち込んだのが、U.C.バークレー出身で津和野高校のコーディネーター・牛木力(うしき・ちから)さんだ。

 

アメリカで充分なキャリアを積んだことから、多くの選択肢を持っていたであろう彼は、なぜ津和野高校を選んだのか?

アメリカとは異なった文化的背景を持つ津和野の地で、なぜ『Y-PLAN』を実践しようと思ったのか?

『Y-PLAN』を通して、生徒たちに何を伝えようとしているのか?

 

今回は全3編に渡るインタビューを通じて、牛木さんの思いの核心やその人となりに迫っていきたいと思う。

 

うっしー3

 

 

第1編「『Y-PLAN』との出会い」

 

日本人であるからこそ発揮できるバリューがある

 

精悍な顔つきであるが、どこか柔和な雰囲気も併せ持っている牛木さん。

彼は2016年2月から津和野高校のコーディネーターとして、主に”総合的な学習の時間”を担当している。津和野高校に赴任する以前は、U.C.バークレーにて都市計画と中等教育の連携を扱うリサーチ機関の研究員をしていた。

 

うっしーバークレー

 

U.C.バークレーを始めとするアメリカの大学は、日本の大学よりも数倍忙しいと聞く。牛木さんは、U.C.バークレーにてどのような学生生活を過ごされたのだろうか。

 

「僕はU.C.バークレーでは都市計画を専攻していました。

しかし、講義を受けるうちに、都市計画とは結局”Regulation=規制”でまちを縛っていくことだと気づいてしまい、あまり興味を持てなくなっていたのです。かつて日本の大学の医学部を訳あって中退し、志を持ってアメリカのコミュニティカレッジ(※アメリカの公立2年制大学のこと。卒業後は4年制大学に編入することも可能。)からU.C.バークレーに編入したにもかかわらず、自分が学びたいことと学んでいることの違いや、そこでの議論に圧倒され劣等感を感じ続ける日々を過ごし、気がついたら大学の最終学期に入っていました」

 

経歴だけを聞くと、順風満帆に見えるキャリアも、その過程では相当な苦労があったようだ。そんな日々の中、牛木さんに転機が訪れる。

 

「その最終学期、これといった思い入れもなくたまたま『教育を通したまちづくり』というゼミを受講したのですが、そのゼミの担当教授・デボラ・マッコイ氏が私のその後の人生を大きく変えてくれたのです。彼女の講義を受けていた学生は、英語を母国語としている生粋のエリートばかりに見えていました。先述したように、その当時の僕は、そんなエリート達との議論に半ばノイローゼ気味になっていたのです。そんな落ち込んだ気持ちで参加した最初の講義で、彼女は真っ直ぐ僕の目を見て「あなたはこのクラス唯一の日本人なのよ。あなたは現地の学生に比べて、英語が劣っているかもしれない。けれども、ここでは異国人である”あなた”だからこそ、発揮できるバリューがある」とみんなの前で力強く言ってくれたのです」

 

「この言葉には僕自身、どれだけ救われたかわかりません。

そのことがあってから、そのゼミではとにかく自分のバリューを発揮しようと、必死で食らい付いていきました。後から、彼女の思想は”Community of Practice=実践のためのコミュニティ”という考え方がベースになっていることを知りました。平たく言えば、”Everyone can learn each other=誰もが誰からも学べる”ということ。その思想通り、彼女は「あなたたちは私の講義を受けに来ている学生だけれども、私は本気であなたたちから学びとろうとしている」とも言いました。そのゼミは、まさにその言葉を体現したような、立場に寄らず相互に学びを得られる非常に有意義なものでした」

 

うっしー2

 

肌の色も、言葉も、生活習慣・文化が異なる環境の中でも、牛木さんは自分のバリューを発揮したことによって、自身の道を切り開いてきた。そして、現地で受講したゼミの”誰しも誰からも学べる”というコンセプト、これは安易にトップダウン的な指導に走らない『Y-PLAN』にも通ずるものがある。

 

監獄のような学校で見た可能性

 

そんな牛木さん、一体どのような経緯で『Y-PLAN』に出会ったのだろうか。

 

「『Y-PLAN』は、マッコイ氏が15年ほど前に提唱した問題解決型のワークショップで、町のリーダーからの要望に高校生が向き合い、それに対して解決策を提示するというもので、先述したゼミの中核プログラムでした。そのゼミでは講義といったものはほとんどなく、最初の1、2回だけは座学やディスカッションをして、3回目くらいには『Y-PLAN』を実施するために現地の高校に放り出されます。そのゼミを受講していた僕も、『Y-PLAN』が行われる現地の高校・リッチモンドハイスクールに出向いたのですが、いざ訪れてみるとそこはまるで監獄のような高校でした。

校内の治安を維持するためか、敷地内に入る前にボディチェックがあり、そこに通う高校生たちの多くは貧困層で、自分たちはゲットー(スラムの意)の出だから、ヒスパニックだから、と自分のバックグラウンドを背に、可能性を狭めている子がたくさんいたのです」

 

「まちづくりはワクワクするテーマだったのですが、実際に訪れてみると、何もできない自分がそこにはいました。

不法移民の子であったり、自分とはかけ離れた困難な家庭環境で育ってきた高校生たちに対して、”お金持ちの国”日本からやってきた僕に何ができるんだろう、という疑問を感じたのです。また、ワークショップを進めていく中で英語では上手く説明ができないこともあり、相手に理解させてあげられないことに非常に歯がゆい思いをしました。何とか周りにカバーしてもらいながら進めていけても、僕はどれだけこの子達のためになれたのか、と。自分がそれまで学んできた机上の勉強は、自分よりもよっぽどリアリティーに触れてきている高校生相手には嘘臭く感じました。

ただ、不器用ながらも必死に高校生に向き合おうとする姿勢が伝わったのか、『Y-PLAN』が終わってからも、街中で会うと声をかけてくれたり、継続的に関わっていきたいと僕に伝えてくれる生徒達もいました。悔しい思いはしましたが、彼らとの出会いが自分にとっての”まち”をより形あるものにしてくれました

 

うっしープレゼン
(文/前田健吾)

第2編「高校生が起こす社会変革。『リクルート』も採用する”圧倒的当事者意識”を持った人材を生み出す」に続く

牛木さんがコーディネーターを務めている津和野高校のホームページはコチラ

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