“里芋”までも、お酒の原料に(?)“規格外野菜”に新たな価値を生み出す、お酒造りの現場に迫る(『財間酒場』財間章 さん)
あなたは“里芋”の焼酎を呑んだことがあるだろうか?
創業200年を誇る老舗酒造、『財間酒場』。ここでは津和野出身の文豪・森鴎外の名を冠した日本酒『鴎外』や、世にも珍しい“里芋”の焼酎を醸造している。
「里芋の焼酎なんて、普通なら作らない方が楽だよ」そう語るのは、財間酒造の財間章(あきら)さん。何故、普通より手間がかかるお酒を作るのか。そこには、津和野の酒造と農家との、切り離すことのできないストーリーがあった。
創業から200年の財間酒場
今回訪れるのは“中座(なかざ)”と呼ばれる地区。津和野の中心から歩いて20分ほどの距離の場所だ。150年前、「津和野百景図」に描かれた地図だと、およそ白枠の中に位置する。
ここは“津和野街道”という古道に面しており、今でも歴史ある建物が数多く残っている。津和野街道とは、江戸時代、津和野藩が参覲交代時に使用した街道のこと。この場所は、その道の起点となる場所でもあったのだ。
青々とした山に一直線に向かうように、薄いベージュ色の道が続いている。どこまで歩いて行っても、タイムスリップしたかのような趣のある建物が立ち並んでいる。ふと横を見ると、“清酒 高砂”という木の看板を立てた、趣のある建物の中でも一際目に入る酒造があった。
ここが『財間酒場』。本日の取材場所だ。
入り口の暖簾(のれん)を掻き分けてくぐると、時代を感じさせる木造の部屋が続いている。酒造だからなのだろうか、吸い込まれていきそうな空っぽの天井が伸び上がっている。薫製のような茶色の木からは、ほんのりとお酒の香りが漂ってくるかのようだ。
さらに進むと、年季の入った酒樽がいくつも置いてある。ここでお酒が醸造されていることを想像してみると、思わずヨダレが垂れてきそうだ。
聞けばこの酒蔵は、寛政3年、西暦1791年に創業されたそう。なんと200年以上の歴史を持っている。ただの雰囲気のあるデザインではなく、長い年月をかけて作り上げられてきた本物の趣がこの建物にはある。我々がこの酒造の趣深さに浸っているところ、奥からゆっくりと、初老の1人の男性が歩いてきた。彼こそ、財間章さん。財間酒場の代表である。
「つい本音を言ってしまうけぇ悪いこと、しゃべり過ぎてしまうかもわからんな」と財間さんはいたずらっぽい笑顔で話し、和やかな雰囲気の中、お話を伺うことになった。
博物館も運営する酒造家
財間さんは昭和58年に財間酒造を引き継いでからというもの、年中忙しく、まとまった休みはなかなか取れないのだそうだ。
「酒造家の1年のルーティンは決まっているんよ。ウチは大体10月頃から仕込みが始まり、翌年の1月頃に初酒ができる。冬場は特に仕込みに販売にと忙しいけぇ、正月や大晦日も働きっぱなしさ」
そう語る財間さん。多忙な酒造家が、休暇を取れたら何をするのだろうか。
「もうとにかくゆっくりしたいね。美術館に行ったり、博物館に行ったりと、休日というものを満喫したい(笑)」
そんな芸術愛好家の財間さんは、酒場に『高砂酒蔵資料館』という博物館を併設している。財間酒場イチオシの銘柄、“高砂”の名を冠した博物館だ。
「ここを展示スペースにし始めたのは、昭和の終わり頃。当時は今よりもお酒を買いに来られる方が結構おったし、わざわざ津和野まで来てくれたのに、お酒を買うだけじゃ勿体無いと思ったんよ。普通の酒造会社であれば、新しい機械を導入したら、スペースの関係で以前の道具は捨ててしまう。ところがうちは酒蔵が余っていたから、そこに酒造りの道具を保存することができたんだ。せっかくだからそれらを展示し始めたわけさ」
財間さんの、“廃棄資源を活用する”という考え方。この考えは展示だけではなく、酒造りにも活かされているのだという。
“廃棄資源の活用”から、新たなお酒を生みだす
今回、財間酒場がふるさと納税の中で出品している『米焼酎』と『里芋焼酎』。このお酒を作り始めたきっかけも、“廃棄資源の活用”がキーワードであった。
「このお酒を作り始めたきっかけは、ある米農家の存在じゃった。彼は自分が作ったお米が商品価値のある一等米として認められんかったもんで、それを肥料にしたり、業者に安く譲ってしまっていたらしいんよ。それは農家にとっても良い気分ではないよな。じぇけぇ酒屋であるウチなら、そのお米をもっと価値のある形でブランディングできると思い、この米焼酎を作ることにしたんよ。
里芋焼酎も一緒。味は一緒だけど見栄えが悪く出荷できずに、困っていた生産者がいたから。以前は育てた里芋の2.5割は、規格外で捨ててしまっていた。そこで捨ててしまっていた里芋を焼酎として、活用することにしたんじゃ。
農家と酒蔵というのは、切っても離れない関係にある。そこで捨てるべきだったものを活用すれば、廃棄物もなくなり、生産者にもお金が入り、お互い良い循環になると考えたんよ」
そんな米焼酎と里芋焼酎は、酒造とは一見離れている様な、“エコロジー”を考えて生まれたものだった。
実際に里芋焼酎を飲んでみると、当然ではあるが、芋焼酎とも麦焼酎とも異なる初めての味であった。焼酎は種類によって異なる香りが特徴的だが、この里芋焼酎、飲んですぐさま鼻の奥をスーッと通るような深い香りが舞い込んでくる。そして、口の中で里芋の食感を残した滑らかな舌触りが楽しめる。里芋こそがメインのお酒の原料だったのではなかろうかと疑ってしまうほど、クセになる独特な香りといつまでも口に含んでいたくなるような舌触りを生み出している。
コストを3倍かけてでも、“里芋焼酎”を作る理由
「この商品の良さは、米も芋も、全て津和野が原産なところじゃ。綺麗な水の流れる笹山の土で育まれた里芋を使い、米は木部地区で取れたお米を使用しとる。言うてみれば、生産者の顔が全員見えてるもんなんよ。だからこそ信頼できるし、安心・安全だと断言できる」
“酒造マイスター”である財間さんは、原材料だけでなくお酒の醸造にも、こだわりを持っているそうだ。
「ウチの場合は、機械に頼らず、ほどんとの工程を手作業で行っている。だから若干ではあるが、味が年々少しずつ変化している。里芋焼酎は、良い香りを出す分、とにかく生産コストがかかる。加工過程でペースト状にするのだけれど、そこが一苦労。いかに溶かすかに苦心しているよ。非常に粘り気が強いから後始末も大変で、米焼酎の3倍は時間がかかかるね。そして出荷する際は、焼酎は大体2年は寝かしてから卸すんよ。焼酎は寝かせば寝かすほど、まろやかになっていくけぇね。その分コストはかかるけれども、美味しくいただいてもらうのであれば、その苦労は惜しまん。田舎のおっさんが一生懸命作っているけぇ、一回味わってみてよ(笑)」
以前は津和野の観光連盟に加入し、活動してきた財間さん。最後に津和野町の取り扱うふるさと納税制度についても、こんなコメントをいただくことができた。
「うちの商品が売れるとかそういうことじゃなくて、津和野町にとってどういう風にお金をいただくことができるか、それが問題なんだ。20年くらい前に比べると、津和野の観光客は減っているからね。当社の製品ももちろんだけど、他の生産者さんも極力津和野のものを使って出品しとる。安心・安全を届けることができる商品たちだと、わしは確信しているよ」
津和野のメインロードである本町・殿町から少し離れた場所にひっそりと佇む財間酒場。
通常であれば廃棄されるような物も、自らの手で価値のあるものに変えてゆく財間さん。
本当の価値とは、私たちが気づき、育んでいくものなのではないだろうか。そんな風に考えてみると、前よりもずっと、津和野の未来が明るく見えてきたような気がする。
(文/宮武優太郎 ※一部写真を「津和野町日本遺産センター」様から借用させていただきました)
『思わず、カメラのシャッターを切りたくなる』。そんな切り口で、財間酒場のある“中座地区”を特集した記事はコチラ↓
財間酒場
営業時間:9:00~16:00定休日:無し
駐車場:有り(30台)
TEL:0856-72-0039