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「逃げ場を無くして、覚悟を決めた」 建設現場のマネージャーが、ゼロから始めた和菓子職人への道(和菓子屋『峰月堂』原田喜夫さんインタビュー)

目の前の立場や富を全て捨てて、未知の世界に飛び込んだ、一人の男が津和野にいた。

今回インタビューするのは、土木関係の会社で現場マネージャーとして働いたのち、和菓子職人の道へ飛び込んだ、原田喜夫(よしお)さん。

彼は今、“梅餡”を使用した珍しい和菓子『鷺(さぎ)しぐれ』などを販売する、和菓子屋『峰月堂(ほうげつどう)』の店長として働いている。

前職の会社を勤め上げて、安定した生活を過ごすことができたにも関わらず、なぜ厳しい職人の道を選んだのか。

どのような想いで和菓子作りに励んでいるのだろうか。

津和野での和菓子作りに懸けた想いとその経緯を、原田さんに伺ってみた。

和菓子作りの現場に潜入

小京都の街並みの残る、津和野の本町通り。この通りを北にまっすぐ進むと、和菓子処『峰月堂』の看板が見える。

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峰月堂は、昭和33年創業の老舗の和菓子屋だ。全国菓子大博覧会において、峰月堂の『源氏巻』は金賞を受賞したこともある。そんな峰月堂のお菓子作りの現場へと、潜入させてもらうことになった。

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店内から、作業場へと足を踏み入れる。
「よお、よく来んさった」

そう言って迎えてくれたのは、原田喜夫さん。峰月堂の3代目だ。峰月堂の和菓子「鷺(さぎ)しぐれ」に使う、求肥(ぎゅうひ)作りの真っ最中だった。

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求肥とは、もち米に砂糖や水あめを練り上げたもので、京都土産の定番『八ツ橋』にも使われている材料だ。まず、柔らかくしたもち米に砂糖や水を加え、鍋でじっくりと熱していく。

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求肥づくりは、温度調節が難しいんよ。鍋の火は強すぎず、弱すぎず。また季節によって、水の量も変えないといけない。夏はすぐに柔らかくなってしまうし、その時期に作業場にこもってお菓子づくりをするのは、めちゃめちゃ蒸し暑くて厳しいものがある」

鍋に火をかけながら、そう語る原田さん。

熱した求肥は水あめのように、粘り気がある。それを薄くの伸ばし、型通りにくり抜いていく。

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原田さんの表情は、真剣そのもの。

「でも結局、人間の手でやったもんが、一番美味しくできるんよ」

そう語りながら、慣れた手つきでお菓子づくりを進めていく。その作業は丁寧で、かつ正確だ。

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円状にくり抜かれた求肥に、朱色の餡が載せられていく。これは、峰月堂特製の“梅餡”だ。

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これを求肥で包むと、純白の白から、ほんのりとした朱色が見え隠れする。これが銘菓「鷺しぐれ」。津和野の伝統芸能『鷺舞』をイメージして、作られたという。上品な餡の甘みの中に、ほのかな梅の酸味があり、軽やかな後味が特徴的だ。

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和菓子作りを見学させてもらった後は、部屋を移動し、原田さん自身についてのお話を伺った。彼が和菓子職人になる前の経歴は、意外なものだった。

往復400kmかけて学びに行った修行時代

「津和野に来る前は、土木関係の会社で津和野に来る前は山口県に住んどった。そこで十年近く務めとったな。ダムや橋の建設や、洪水で壊れた道路の復旧など、インフラの整備が主な案件。職人兼、現場マネージャーとしても働いとったから、昼は肉体労働、夜は管理業務と、当時は大忙しだった」

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建設現場のマネージャーから、和菓子職人へと、全くの異業種への挑戦。以前の会社での地位や経験を全て捨てた、ゼロからのスタートである。

「なにせ、お菓子づくりなんてしたことないからの(笑)。当初はとにかく勉強漬けの毎日だった。津和野から200km先の松江市まで、お菓子作りの専門学校に通っていたこともあったな」

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和菓子作りの修行は、困難の連続だったという。

「求肥を使ったまんじゅうだって、最初は全然うまく作れんかった。峰月堂の社長から教わった通りに作ってみても、どうもうまく作れない。和菓子作りは感覚が大事じゃけぇ、満足いくまんじゅうを作れるようになるには、何度も何度も何度も練習をして、自分の感覚にしていくしかないんよね。ゴルフボールを握って、まんじゅうを握る感覚を養っていったり・・・。納得できるものが作れるようになるまで、3、4年くらいはかかったの」

夢は語らず、子どもたちへは背中で示す

そして現在、峰月堂の3代目に就任した原田さん。和菓子作りにこだわっている点は何なのだろうか。

「その中でも、商品に“自分の色”を出すことだね。わしがこのお店に入った当初は、源氏巻がメインの商品だった。伝統を残すことはもちろん大切だけど、“和菓子をもっと身近に感じてもらう”商品を出してもいいんじゃないだろうかと考えた。そこで、『和菓子屋のプリン』や『焼き芋饅頭』、『栗饅頭』を作り始めたんよ」

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“和菓子をもっと身近に感じて欲しい”。そう考えるようになったのは、自身の息子さんの影響が大きかったという。

「子供たちが、「キャラクターのお菓子をつくってみて」というんよ。キャラクターを模した練り切り(白餡に砂糖などを混ぜた、カラフルな和菓子)を作ってみたら、思いのほか喜んでくれた。今では商品として特別に注文も受付けとる」

子どもが生まれてから、考え方や仕事への姿勢も変わったという原田さん。今では小学生向けのサッカークラブの監督もしているという。

「子ども達が遊べる場を提供したいと思ったんじゃ。息子は大人に混じってサッカーで遊んどったんじゃが、息子の友達も「サッカーをしたい」って言ってきたけえの。ここでは、子ども達が皆で遊んで交流できる場所があまり無いんじゃ。練習ではのびのびと、一人一人が楽しんでサッカーをしとるよ。今では30人近くが来てくれとるな」

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公私ともに忙しくも、充実した日々を送っている原田さん。しかし津和野に移住する際は、相当な覚悟を決めたそうだ。

「結婚をするタイミングで、婿養子に入り、和菓子屋を引き継ぐことを決めた。後継がいない、ということだったけえの。会社で引き受けていた大きな案件もキャンセルして、津和野へ来た。そこでは現場マネージャーも務めてたし、それなりの収入があって安定した生活を過ごすこともできた。

そんな地位や生活を捨てて、誰も知り合いのいない津和野で、それまで触れたこともない和菓子の道に進むことになったんよ。

そりゃあ勤め先を辞めて、別の世界に挑戦するのは、怖いものがあったよ。でも、婿に入ってたら、その家族のためにも働かないといけないし、もうやるしかない。そうやって逃げ場をなくしたんじゃ。人生やっぱり、“なんとかなる”、じゃうまくいかないんよ」

原田さんが覚悟を持って熱心に取り組んできたからこそ、峰月堂の今がある。そんなお店を息子たちに継がせる気持ちはあるのだろうか。

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「別に無理して後を継がせるつもりはない。ただでさえ厳しい職人の世界は、今後ますます大変になると思うし、人生の選択は自由じゃ。もちろん、継いで欲しいという思いはもあるよ。自分が正しい仕事をしていれば、息子もおのずとついてくると思うけえの」

息子のお手本となっていく、父の背中。

原田さんは、声をかける訳で無くとも、『態度や姿勢、生き様で示す』。

そんな父親の決意を、垣間見ることができた。

落ち着いた物腰で、ゆっくりと、しかし力強い言葉で自らの生き方を語ってくれた原田さん。

そこには、覚悟を持って生きる“職人”の姿と、将来を担う子ども達の想いに答える“父”の姿があった。

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(文/宮武優太郎)

今回紹介させていただいた峰月堂の「津和野銘菓の詰め合わせ」は、『津和野町ふるさと納税制度』からお求めいただくことができます。詳しくは外部サイトまで。

外部サイト:ふるさとチョイス「津和野銘菓の詰め合わせ」

津和野峰月堂

TEL:0856-72-0346

FAX:0856-72-0450

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