たとえ火の中・川の中・溝の中。津和野町【鷲原地区】にて行われる「”火”神輿」に飛び込んでみた。
11月19日土曜日。
ひんやりと冷たい秋風が吹いてくる今日この頃、
津和野町の【鷲原地区】にて、トランス状態の中で燃え盛る火に飛び込み、火を消していく俗に言う「火神輿」が行われた。
元々は、火の神様への感謝の気持ちや火を消すことで火事の被害を抑えたいという願いから、始まったお祭りだそう。
火に飛び込むだけでもかなりクレイジーなのだが、かつては溝に落ちる者、川に落ちて流される者、首や腕に火傷を追う者など、誰かが何かしらの犠牲を負ってきたこの祭り。
今年は何事もなく終わるのだろうか。
そんなクレイジーな祭りに体当たりで飛び込んでみた。
”もち”で”モチ”ベーションアップ
午前8:00。
朝は轟々と雷雨が吹き荒れていたが、それも次第に止み、鷲原八幡宮に到着する頃にはすっかりいい天気になっていた。火に飛び込むには絶好の天気である。
我々が到着する頃には、すでに餅つきが始まっていた。お布施をいただいた方に提供する紅白餅である。
一見するとシンプルな動きであるが、やってみると非常に難しい。つき終えた後は、しばらく手が杵を握った形のまま動かない。
つきたての餅は、町のご婦人方が優しく握ってくださる。食べてみると、頬っぺたが落ちそうになるほど柔らかくておいしい。
この作業を午前11時頃までやり続けた。
津和野で行われる祭りは、基本的に準備にすごく力を入れる。
この「火神輿」が始まるのも大体午後1時頃からなのだが、早い人は朝の7:30にはすでに到着されていたそう。こういった、年一回の行事への気合いの入れ方が違うのである。
鷲原八幡宮への祈り
午後1:00。
鷲原八幡宮へ到着。
紅葉の赤と黄色の鮮やかなグラデーションの道を踏んでいく。
神輿を担ぐ前の祈祷の儀式が行われるのだ。
心臓の芯から身体中に響き渡るような太鼓の音、
頭の奥底から囁いてくるかのような篠笛の音がこだまする。
自分達も自然の一部と化しているかのようだ。
祈祷の儀式が終わると、紅葉が降りしきる鷲原八幡宮を背に、8人で神輿を担ぎ町へ向かった。
酒とおにぎりと練り物と、束の間の休息
実際に神輿を担いでみると、思ったよりも重かった。
以前「裸神輿」にて担いだ神輿よりも、人数が半分になった分やはり重く感じる。
特に交通規制もない道を、団扇(うちわ)や提灯(ちょうちん)を持った者達とともに、町を練り歩いていく。
まずは最初の”御旅所”である「門林」の方へと向かう。”御旅所”とは、一時神輿を休めるスポットのことである。
「門林」に到着し、燃え盛る火を横目に、祈りの儀式が始まった。
まだ火には飛込まない。
が、いずれ飛び込むことは確かなので、祈れるだけ祈るという気持ちで深く低頭した。
祈りが終わると、日本酒や軽食が振舞われた。
とても食べきれないぐらいの量が次々と運ばれてくる。しかも、どれも本当に美味しい。
この時間が一生続けばいいと思った。
そんな時間も束の間、神輿を担ぎ、これからも各御旅所で行われる”揉み”神輿が始まった。
神輿が肩や腕にぶつかって、めちゃくちゃ痛い。気を付けないと、こんな序盤で怪我をしてしまいそうだ。
何度か神輿を揉んだ末、次の御旅所へと向かった。
焚き火の中へ一直線
「門林」の御旅所を出て、坂を下っていく。
「ワッショイ!ワッショイ!!」
威勢のいい掛け声が響き渡る。最終運行を見にきているSLファンもビックリの大声だ。
掛け声を出し始めてから5分もしないうちに、次の御旅所へと辿りついた。
またも、寿司や日本酒、ビールなどが振舞われる。津和野で祭りが行われる際は、本当にたくさんの振る舞いものを提供していただける。ありがたい限りだ。
ここでも、5分もしないうちに次の御旅所へ向かうべく、まだ私が食べ終えてもいないうちに神輿を担ぐこととなった。
さぁ、揉み神輿が始まる…とよく見たら、私が神輿を担いでいるポジションが、燃え盛っている焚き火と非常に近い。
もみ神輿が始まってもいないのに、自然と背中を冷や汗が伝う。
心の準備は…できていない…がそんな私の思いを他所に揉み神輿が始まった。
始まっていきなり焚き火の中へ真っしぐら。
すんでのところで踏みとどまってしまった。その後も揉みつ揉まれつ。見ると、みんな結構火の中に飛び込んでいる。
やがて火が消されると、揉み神輿は終わった。
自分の腰抜けぶりを反省しつつ、勝手がわかったとあって、少し火に飛び込む勇気が湧いてきた。というより、飛び込みたくなってきた。
人間、恐ろしいものである。
まとわりつく焦げ臭さ
その後はしばらく火に飛び込むこともなく、各御旅所にて振る舞い物をいただき、祈りを捧げ、練り神輿をするという無限ループが続いていく。
もう、食べ過ぎ飲み過ぎで、酒も入らないくらいお腹一杯である。
そうこうして、津和野川に架かる大橋まで来た辺りには、もう真っ暗であった。
もう、神輿を揉みすぎて体の至るところが痛い。
川の側であろうと、溝の近くであろうと、いたるところで神輿を揉みまくる。
川に流される人がいたのも、うなづける。
そんな夜更けに差し掛かる頃、ついに焚き火が焚かれている御旅所が。
結構な勢いで燃え盛っている…
しかし、寒くなってきた時間帯。飛び込む覚悟はできている。
掛け声とともに、いざ火の中へ。
思ったより…熱くない。気づけば団扇もボロボロだ。
火が消えた御旅所を出て、漆黒の闇の中、神輿を担いで進んで行く。
何やら焦げ臭い匂いが我々を包んでいる。服も燃えるほどの炎である。
そろそろ身体も疲れを感じてきた。
進んで行くと、これまでの御旅所よりも一段と燃え盛っている焚き火が待っていた。
さすがに、ヤバイ気がする。顔の辺りまで、炎が襲いかかってきそうな勢いだ。
ひとまず、火に入ることなく神輿をおいて、振る舞いものにありつく。
おにぎりに加えて、手作りのピザにたこ焼きや枝豆。最高の酒の肴である。
そろそろ、トランス状態まで持っていかねば、と酒がググッと喉の奥まで染み渡っていく。
なかなか酔いが回ってきたところで、いざ火の中へ。
炎が熱いことは感じられるんだが…熱くない。変な感覚だ。そうこれが”トランス状態”である。
改めて、よくこんな火の中に飛び込めたものだ。
火が消えたところで、最後の御旅所である鷲原八幡宮へと足を進める。
鷲原八幡宮に到着したところで、いつも通り振る舞いものをいただく。
燃え盛っているが、もはや何も怖くない。
これまでのように飛び込んでいく。
火の粉が、粒子状になって雨のように舞い落ちる。
ビール瓶が入ったケースに引っかかってこける者も。
何とか、火を消し終え、祈りの儀式のため境内の中へ。
これで終わり…かと思いきやまた次のスポットへ。
8時間の旅は終焉へ
時計を見ると、すでに9時を回っている。かれこれ8時間も神輿を担いでいるのだ。
坂を登り最後の御旅所へと足を運んでいく。
終わりが見えない旅も終焉へ。
最後の御旅所でももちろん火の中へ。
火の粉が消えるとともに、トランス状態も徐々に冷めてきた。
顔を確認してみると、地黒の肌以上に顔が真っ黒のススだらけである。
こんな風になるまで神輿を担いできた自分が最早誇らしい。
神輿を鷲原八幡宮横の事務所に置いて、そのまま帰ることもなく飲み会がスタート。
飲み終わるまでが祭りなのである。
そんなこんなで、11頃まで飲み続け、帰路についた。
この記事を書いている現在も全身の筋肉痛に襲われている私。
情けないなぁと思うと同時に、最後まで楽しむことができたのだという余韻に浸っている。
津和野では、11月にたくさんの祭りが行われるのだが、こんなに興奮状態に浸れる祭りは他にはない。
きっと、顔にかかったススの数だけ、祭りを楽しめたのだろう。
SLや車から覗いている人達もいたり、
観る者も参加する者も、興奮し楽しめるお祭り、
それが鷲原の「火神輿」であった。
津和野町【鷲原】地区
(文/前田健吾)