天空の町に極彩色の踊り子たちが 100年続く伝統行事、津和野町須川地区の「田植え囃子」に参加してきた
前回取り上げた、「日原地区裸神輿」。この日原の町の上には、「須川地区」という集落があるのをご存知だろうか。
麓の町を見下ろせる場所まで登り、細い山道を抜けていくと、須川の集落が顔を出す。
別名“天空の須川”とも呼ばれているこの地区の、秋祭りに参加してきた。
須川地区について書かれた記事は、コチラ
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100年続く伝統行事 田植え囃子
人口減少が叫ばれる津和野町の中でも、特に高齢化の著しい須川地区。
人口200人にも満たない集落だが、日本の美しい原風景が残り、伝統芸能やジビエ猟などの文化も継承されている。
10月9日に、そんな須川地区で八幡宮祭りが開催された。須川の氏神様に感謝するこのお祭りでは、須川に伝わる芸能を披露する。それが、田植え囃子(ばやし)だ。
田植え囃子が須川に伝わったのは、100年近く前のこと。広島県にルーツがあると伝えられている。以来、須川地区の有志により伝承され、祝い事の際には毎度披露するようになる。過去には日原町でお祭りがあった際にも、出向くことがあったようだ。
須川の田植え囃子の特徴は、何といってもきらびやかな衣装だ。これは婦人会の方々が手がけたもの。ピンクを基調とした浴衣に、赤・紫・水色のカラフルな帯をかける。
私も地元の方のご厚意により、今回は踊り手として参加させていただいた。
踊りについては基本的にゆったりとしたリズムだ。装飾が施された太鼓を棒で叩きながら舞を披露する。しかし棒をテンポ良くバトンのように投げて、相手と交換し合うのだ。
極めてリズム感の無い私は、初めて練習風景を観た時「こんなの絶対踊れない」と絶望した・・・。それでも、須川の方々による手厚いご指導のおかげで、不恰好ながらも何とか形にすることができた。
カラフルな衣装で、須川の町を練り歩く
そして、いざ当日。田植え囃子の一行は、須川を順々に周り、田植え囃子を披露していく。奉納の舞として、須川のご多幸を祈願するのだ。私自身も何とかミスすることなく、舞をこなすことができた。
一行は須川八幡宮に到着。そこでは神事が行われており、獅子舞や餅神輿も披露されていた。
餅神輿とは、地域の方々が手作りした紅白餅を奉納するもの。「須川に幸せが訪れるように」との思いが込められている。
そして神輿の担ぎ手は、山口大学の学生や、津和野の役場職員の若者たち。「地域の伝統文化を体験してみたい」と須川の方にお願いしたところ、快く受け入れてくれたのだ。
「やってみんさい」いつも挑戦させてくれる須川の人々
私は須川地区のまちづくりにも携わらせてもらっている。須川の人々の特徴は、何といっても結束力。美しい景観も、伝統行事も、「この素晴らしい文化や自然を、何とか残そう」という気持ちで行っている。
そして、私たちのいつも新たな提案を須川の人々「やってみようじゃないか」「やってみんさい」と言ってくれる。100年以上続く行事に参加させてくれるなんて、光栄でもあり、恐縮でもあり、いつも受け入れてくれるこの風土が、須川の良いところだな、と行く度に感じる。
私のペアは田植え囃子を50年以上続けている大ベテラン。練習日3日の若造とのペアも二つ返事で受け入れてくださったが、私自身はかなり緊張していた。しかし、相手との息が合わなければ上手くいかない棒の投げ合いが成功した時は、心は達成感で満たされていた。
山奥でひっそりと、しかし、鮮やかな輝きを放っている田植え囃子。「また来年も参加してえや」と言ってくださった。もちろんこれからも、踊らせていいただきます。どんなことでもチャレンジさせてくれるのが、須川の良さだから。
須川地区ではFacebookページ『須川じゃけぇ』の運営も行っています。須川の魅力や行事を、住民・役場職員が代わる代わる発信しております。
(文/宮武優太郎)